人生丸ゴト握ッテ回ス (野口武彦著作データ)

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2004-12-19幕末パノラマ館

[][]出だし・あとがき

麻布一の橋から赤羽橋に向かう道は、昔は古川に沿って片方が柳沢侯の下屋敷、片側が草ぼうぼうの原っぱという景色だった。幕末の文久三年(1863)四月十三日の夕方、一の橋を渡って一、二間という場所に一人の立派な身なりの武士が斬られて倒れていた。頭を総髪にしていた首は半分断たれて落ちかかっていたという。その死骸は、当時浪士団を組織して攘夷運動に暗躍していた大物、清河八郎である。斬ったのは、後に京都見廻組の組頭になった佐々木只三郎ほか数名であった。(「一 麻布一の橋の暗殺」)

(中略)

 最初に何の構想も立てないのが主義であった。一章一章が独立した一場面であるような出来事をアットランダムに、いわば乱数表的に集めてきて、断片的な小事件の画面を連ねて全景を作るつもりだったのである。ところが始めてみたら、このパノラマは静止画像ではなく、場面ごとに動きがあった。一つの動きはかならず次の動きを呼び込むのである。

 平和な時代には、社会のさまざまな出来事はいっとき周囲に小波を広げるが、またすぐに元の平衡を取り戻す。いくつもの波紋が広がってはたがいに打ち消しあって静まるのが平時の常態である。

 ところが幕末がそうであったような危機の時代には、出来事はまったく違う動き方をする。幕末社会の水面はいったん波立ったら以前の平穏さを回復することはない。次から次へと連鎖反応を呼び、化学的な不可逆反応に似たプロセスを終局まで突き進まずにはいないのである。本書の二十四章もまたそのような流れに従っている。(「あとがき」)

2004-11-13太平の構図

[][]出だし

 「寛永の島原戦役以後殆ど二世紀の間といふものは、日本の国内に干戈の声が全く聞こえなかつた。単に内乱の跡を絶つたのみならず、一回の外戦をすら経験しなかつた。若し太平といふことが無戦争のみを意味するならば、徳川時代に於ける此の如き太平は、実に世界のレコードをなすべきものである。日本が此間(このかん)に、其文明の上に於て、莫大なる進歩をなし遂げたことは、当然と云はなければなるまい」

 ―これは名歴史家として知られる原勝郎が『足利時代と肖像画』と題して、つとに大正年間に書いた論文の冒頭である。この一節は、題名が示すとおり、足利時代、つまり室町政権の江戸時代に対する先駆性を述べるためのイントロダクションであるが、それはそっくりそのまま、本書がこれから取り上げようとしている江戸時代文明論の導入部としても通用しよう。

2004-11-12江戸文学の詩と真実

[][]出だし

 祗園南海、名は瑜、字は伯玉、南海はその号で他に蓬莱、鉄冠道人、湘運居などの別号がある。南紀和歌山の人、紀州徳川家に仕えた藩儒であるが、むしろ詩名をもって聞こえ、江村北海の『日本詩史』以来、新井白石、梁田蛻巌、服部南郭とならんで江戸有数の大家として知られる。また、池大雅に画法を伝えた南画の創始者のひとりとしても有名である。

 わたしは漢詩の専門家ではなく、日本漢文学の研究者でもなく、また美術の分野にいたってはまったくの門外漢という他はない。その不識をもかえりみず、わたしがあえて祗園南海を論じてみようと思い立ったのは、このひとりの文人儒者の生涯と作品とを通じて日本の近世社会における文学者の存在の意味を考えてみようという念願に発している。わたしはこの人物の探求をとおして江戸時代にあっては文学とは何であったのかの問題について考え、あわよくばそれを介して文学とは何かというわれわれにとって永遠に新しい問題に接近してゆく上での一つの視点を構築してみたいと思うのである。

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2004-11-11江戸人の昼と夜

[][]出だし

 心あてに見し夕顔の花ちりて尋ねぞわぶるたそがれの宿。これは誰あろうかの白河楽翁、江戸時代三大改革の一つ、寛政改革の大立者として幕閣に出馬した松平定信が、まだ若い頃に詠じた和歌の一首である。世に名吟のほまれ高く、ためにこの人物は「黄昏の少将」と称されたといわれる。

(中略)

 ここでは、松平定信という人物を中心に据え、その周辺にひろがる時代の断面図に浮かび上がるであろう精神状況から、いくつかの問題を拾い上げてみたい。これから用いる「武士的知識人」とは、以下いたって常識的に、時代の儒学教育を基礎とする学問知識を思考の枠組みとして使いこなせる武士といったほどの意味でこの言葉を用いることにしよう。だが、いま知識と呼んでいるものは、かならずしも武士が行政担当者として必須としている実務能力上の要件にとどまらない。そこには何かしら直接的有用性にはかぎられぬ余剰な一面があるのであって、所与の社会現実を抽象レベルで思念できるとともに観念的に遊離することもできるという知識人のまさに知識人性は、その特質に根をおろして、武士階層の間に身分の高下を問わず生育していたのである。

2004-11-07江戸と悪 ―『八犬伝』と馬琴の世界

[][]出だし

 「このことは一つの教訓的なアイロニイであるが」と、イギリスの思想史家アーサー・O・ラヴジョイが『現代の偉大な連鎖』という大著の中で書いている。

 「思想史にあっては、一つの世代が一思想傾向とかそれと同質の哲学的ムードとかのために導入する原理が、かえって予想外に、まるで反対の傾向の萌芽をはらんでしまっていることがよくある。潜伏していた含有成分が、逆にそれが奉仕しようとする時代精神(ツアイトガイスト)の破壊者になるのである」

 ラヴジョイの書中のこの章は、いみじくも『ロマン主義と充足(プレニチュード)の原理』と題されているが、このような教訓的アイロニイは、江戸時代の思想史のうちにもパラレルな精神現象として見出される。一つの原理の存在のあまりにもの強調が、かえってその不在をあからさまに示すことになるのである。

(中略)

 もしもわれわれが、馬琴のそんな観念的努力だけに問題を還元してしまったら、『八犬伝』世界の清濁あわせそなえた豊富さは眼に入ってこないだろう。『八犬伝』の架空の世界創造は、もちろん決して時代から孤立した現象ではなかった。いつどこでとは明確には指定できないが、いつかどこかで河床を変えた江戸精神史の流れと随所で交錯しているのである。

csoteqakccsoteqakc2007/04/11 12:49<a href=http://roccofoloper.sblog.cz>sauna belt</a> sauna belt http://roccofoloper.sblog.cz sauna belt