人生丸ゴト握ッテ回ス (野口武彦著作データ)

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2004-10-30近代日本の恋愛小説

[][]基本情報

Title
近代日本の恋愛小説
発行日
1987/11/20
出版社
大阪書籍
ISBN
4754810775

[][]目次

[][]出だし

 これからしばらく「近代日本の恋愛小説」というテーマでお話してみようと思うのですが、恋愛小説を漫然と一作ずつ順繰りにしゃべっていくというのではなくて、近代日本の恋愛小説という一つの文学史上のできごとという形で、ある程度、構成をもたせてお話してみたいと思います。

 恋愛小説というものは、ずっと書き継がれておりますし、今でも市販されている文芸雑誌の大半は何らかの形で恋愛小説であると言ってよい。ところが、そういう恋愛小説一般ではなくて、日本の近代、それも主として明治時代に書かれた作品というのは、近代的な「恋愛」概念の輸入と言いますか、成立と言いますか、それ自身が非常に大きな精神史的な転回であり、ある意味では思想史の上での事件であったということが特色だろうと考えます。したがってまず、その事件がどういうものであったのかということからお話ししてみようかと思います。

2004-10-29近代日本の詩と史実

[][]基本情報

Title
近代日本の詩と史実
発行日
2002/9/20
出版社
中央公論新社
ISBN
4120033139

近代日本の詩と史実 (中公叢書)

[][]目次

I

  • 江戸の近代 ―石川淳『文林通言』を手がかりにして
  • 書字の幕末維新

II

III

ノンジャンル・ラディカルをめざして ―結びに代えて

[][]出だし

 人泣かせの文学用語が多いうちでも、「近代」は特に厄介である。

 「世界文学の上では、近代はポオから始まつて、ボオドレエルがこれを受け継ぎ、それがフランスの象徴主義に発展して最後にヴァレリイが近代といふものにその定義を与へた」―かつて吉田健一は『近代文学論』(昭和32年)の冒頭でこう語った。この批評家によれば、ヨーロッパの「近代」とは、すなわち「混乱」である。そして、こうした「近代」の把握は、その多くをヴァレリイの定義に負うている。

裏表紙にある「著者から読者へ」

 詩と史実は連続している。1995年の神戸の大地震の後、自分でも文章の書き方が変わったと思う。事物の洗礼を経たからである。詩といい、史実といい、同じ一つの世界の異なる切り口であると見る視野が開けた。

 そうした切り口から近代日本の文学的な事件現場のいくつかを再現して、この評論集にまとめてみた。

[][]感想

 「近代日本の文学的な事件現場のいくつかの再現」という切り口で集められた文章を収録した本書の概要は、巻末の小文「ノンジャンル・ラディカルをめざして」を一読してもらうのが一番確実だろう。著者は、江戸文芸の"随筆雑録"(これが何であるかは同文を読めばわかる)を現代に継承せんとしているようであります。"特定のジャンルによる束縛からいちばん自由なスタイル"と称するこの文章が、巷の凡百のエッセイから如何に遠いものであるかは、読者自ら熟読玩味していただきたい。

 各章の冒頭のいくつかを適当に拾い出してみる。

随筆とは、考証であった。(考証随筆の想像力)

「一番聞きたいことはね、……先生はいつ死ぬんですか」。

昭和四十五年(一九七〇)九月に発表された『獨樂』という短いエッセイは、その年の春の或る日の午後、三島由紀夫に一人の奇妙な訪問者があったことを記している。(幕末国学と三島由紀夫

サディズムという言葉の由来になったサド侯爵は、猥談が嫌いだった。(文学と精神分析

今ではもう忘れられた話題だが、一九六〇年代の初め頃、思想界にはわかるようでわからない言葉が三つあるというゴシップが流行ったものだ。吉本隆明の「大衆」、谷川雁の「原点」、それに橋川文三の「体験」だというのである。(戦後日本とロマン主義

明治の「め」の字は、めちゃくちゃの「め」。

明治の「め」の字はどう書くの。

たぶん山田風太郎のように「くノ一」と書くしかないのである。(文明開化という乱世)

詩と史実は連続している。(ノンジャンル・ラディカルをめざして)

上の文章の振幅の大きさが分ってもらえるだろうか。

2004-10-25幕末気分

[][]基本情報

Title
幕末気分
発行日
2002/2/20
出版社
講談社
ISBN
406211092X

幕末気分

[][]目次

  • はしがき
  • 幕末の遊兵隊
  • 帰ってきた妖怪
  • 地下で哭く骨
  • 道頓堀の四谷怪談
  • 徳川慶喜のブリュメール十八日
  • 吉原歩兵騒乱記
  • 上野モンマルトル1868 -世界史から見た彰義隊

[][]出だし

 自分自身のことを書くのはあまり好きではないが、なぜ幕末社会が身近に感じられるようになったかの話だけ記しておくことにしよう。

 人間は大災害のさなかには、まわりの現実に何が起きているか理解できないものである。かえって自動人形のように日常の習慣をなぞろうとする。1995年1月17日未明に起きたM7.2の阪神淡路地震の当日、どうしても勤務先の大学に行かなければならない用件があって家を出た。車で国道までたどりついたら、大阪方面に向かう車輛でぎっしり埋まっているのを見て、なぜだろうと思ったのをよく覚えている。

(中略)

 歴史の変わり目には、自然災害と政治危機とは一つながりだという独特の現場感覚が日常的になる。人間は突然、従来の社会生活ではとても対応できない場面に放り込まれたと思い始める。めいめいが局地で孤立して、独自にアンテナを立てるともいえる。

(中略)

 話題にした七つの事件は、「幕末」とはすなわち府の期であり、260年続いた政体の崩壊期であるという現実をまざまざと示すに違いない。読者のみなさんに、これらの出来事がどこかでタイムワープして現代日本につながっていると感じていただければ幸いである。

[][]感想

「これらの出来事がどこかでタイムワープして現代日本につながっていると感じていただければ幸いである」(はしがき)

しかし、著者は幕末を現代日本にオーバーラップさせるのではない。現代日本がふっと遠ざかって幕末にシンクロしている様を眺めているのだ。距離感を保ちつつ物悲しさを含んだ眼差しと言ったらよいか。本書から感じるのは、舞台を見るが如く点描される幕末の風景から媒介なしにつながる現代日本である。

勝手な忖度を付け加えれば、更にその向こうには作者の若かりし頃の激烈な政治体験が隠れている気がする。例えば「帰ってきた妖怪」の鳥居耀蔵を見よ。鳥居といえば、「遠山の金さん」の敵役の町奉行、金田龍之介が演じてハマっていたのを覚えているが、彼が林大学頭家出身とは知らなんだ。天保の改革で妖怪と恐れられ長らく入牢していたその人物が、既に幕府の存在しない駿河に浦島太郎の如く戻ってくる。政治リゴリズムに骨まで浸かった者と時代に取り残された象牙の塔の再会。「などて将軍は攘夷したまわざりし」という鳥居の叫びに、著者の肉声が聞こえはしないか。

以下、いささか長くなるが、いくつか引用してみたい。私が感じた著者の"眼差し"をどこまで感じ取ってもらえるか心もとないけれど。

「幕末の遊兵隊」
テーマは、軍事召集時なのに遊ぶことを止めない幕府軍。

日々の無責任な軽佻浮薄は、いかなる情勢に対しても雑俳と駄洒落と茶番で応対することしか知らない江戸文明をたっぷり吸収している。年季が入っているのだ。深刻になると冗談で切り抜ける。必死になるなんてヤボな真似はしない。こうなると立派と言うほかないほど、江戸っ子の骨髄に染み込んで死んでも直らぬスタイルなのである。

このノンシャランスと長州兵の一心不乱との間には大きなギャップがある。これはもう遊び半分と生まじめの差ではない。文明のプレート境界だったとでもいう他はなかろう。

「地下で哭く骨」
井伊直弼とその懐刀だった長野大膳の話。

九月二日、梅田雲浜は伏見奉行の手で捕縛された。(中略)これらの逮捕理由がほとんど私的・感情的動機と区別がないことは興味深い。弾劾文がよほど心理的にこたえている。小心なのである。直弼が攻撃されたこともわが身の屈辱と感じている。自分が陰身(かげのみ)、直弼が現身(うつしみ)だからである。あるいは傷つきやすいエゴの延長だからである。

「道頓堀の四谷怪談」
歌舞伎役者中村仲蔵の自伝「手前味噌」を引用して、

この(井伊)大老襲撃場面は奇妙な印象を与える。激しい乱闘の場面なのに、声が発されていない。物音も短銃の発射が擬音語的に記されるだけで、他は聞こえない。声が麻痺しているかのようだ。

(中略)

何だかパントマイムでも見るように、現場の人間の動きだけを線画でたどっているからである。仲蔵は仕草にしか興味がない。凄惨な斬り合いをリアルに語るというより、立ち回りの型を付けている感じなのだ。そう。これは歌舞伎のト書の文体なのである。

2004-10-24

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[]野口武彦って誰ですか?

神戸大学教授。紹介には「文芸評論家」という肩書が付くことも多いようです。メインフィールドは近世文学・思想及び近代文学。ただし、近年は神戸の大地震忠臣蔵・幕末といったいわゆる「素人向け」テーマでの著書も増えつつあります。

早稲田におられた60年安保では学生運動に従事。「56年から60年安保に至る、東京での街頭デモにはすべて参加した」(読売文学賞受賞インタビューにて)。文筆活動に入った初めのころは何と小説も書いておられました。時としてお茶目なノリの裏に修羅場をくぐったドスの刃がちらほら……。

参考情報

彼は詩文において夷斎石川淳に師事し、学問において中村幸彦氏に師事するという欲深い構図をもっており、それをかなえられた幸運児でもある。またその関係から中村真一郎丸谷才一といった才幹に兄事する幸運も併せもったのである。

専攻分野

担当授業科目

  • 学部
    • 国文学特殊講義、国文学演習
  • 大学院
    • 近世文学特殊講義、近世文学演習(文学研究科)、文芸思想論(文化学研究科)

現在の研究課題

  • 幕末文化史・思想史の研究
    • 阪神・淡路地震に触発されて執筆した『安政江戸地震』の史料調査をしているうちに、安政2年(1855)から慶応3年(1867)に至るまでの「幕末」の最末期には、驚くべき質量の政治史・社会史・思想史・文化史上の諸問題が複合的に堆積していることを発見。政治権力がいかにして解体するか、また社会崩壊過程にける人間情念の形態は如何といった問題を多方面から検証してゆくことを、在職期間最後の課題としたい。

このページに載っていない情報はどんなことでも歓迎です。ご存知の方はご一報ください。

[]どうしてこんなページを作ったのか?

最初に、なぜ野口氏の著書に魅かれるのかについて説明せねばなるまい。

  • message drivenかつlogicalな構成
  • 情報の受け手のことを意識した(すなわちマーケットに顔を向けた)文体(持って回ったような・コミュニケート不能な衒学的言い回しに溺れる、あるいは奇を衒った「ウケ」を狙う、等々、巷に散見される「ガキの真似」とは対極にある)
  • とはいえ、勢い余って羽目を外しても殺さないで残す余裕と頭の柔らかさ(大人だ)
  • 読み手に自分の仮想敵を強要しない(これは重要!!)

なんだ、当たり前じゃんと思うあなた。でも洛陽の紙価を高らしめんと考えている世の著述家の大半は、案外こういうことさえ出来ていないのではないですか。かつて柄谷行人は、"知識人・インテリは「世間(あるいは大衆・常識)」から乖離している"と嘆くのがステレオタイプな知識人・インテリだと言った。価値の多様化だか「物語」の喪失だか知らないが、如何に彼らが読み手とのコミュニケーション不全に怯えているとはいえ、まっとうな文章を書かずに妙な高等戦術に打って出て、無意識のうちに討ち死にしている連中を見ると見苦しいことこの上ない。敢えて独立ページを設け野口氏の著書を紹介する所以。

[]インターネットにおける野口武彦

サーチエンジンで検索すると文献リストにやたら名前が出てくるが、著者や著書の紹介といった踏み込んだデータは全くと言っていいほど存在しない。1970年以降30年の長きに渡って著書を出してきた一線の評論家としては余りに寂しいというのが実感である。著書はともかく、雑誌・学術誌に掲載された文章・論文で単行本化されていないものに至ってはとてもフォローできない。いずれ出るであろう全集(出さなかったら承知しないぞ筑摩書房!)に期待するしかないのであろうか。

国文学関係の雑誌に掲載された論文は、国文学研究資料館が作成している国文学論文目録データベースで検索が可能です。

[]著書一覧

近世文学・思想

江戸文学の詩と真実
中央公論社、1971年5月
頼山陽~歴史への帰還者~
淡交社、1974年
徳川光圀
朝日新聞社、1976年
江戸文林切絵図
冬樹社、1979年6月
江戸の歴史家~歴史という名の毒~(ちくま文庫
筑摩書房、1979年12月(1980年度サントリー学芸賞/思想・歴史部門)
「悪」と江戸文学(朝日選書)
朝日新聞社、1980年11月
江戸人の昼と夜
筑摩書房、1984年8月(改題『江戸人の精神絵図』講談社学術文庫、2011年9月)
江戸百鬼夜行
ぺりかん社、1985年3月
源氏物語』を江戸から読む(講談社学術文庫
講談社、1985年7月(芸術選奨・文部大臣賞)
王道と革命の間~日本思想と孟子問題~
筑摩書房、1986年3月
江戸わかもの考
三省堂、1986年10月
江戸人の歴史意識(朝日選書)
朝日新聞社、1987年7月
秋成幻戯
青土社、1989年2月
太平の構図(日本文明史 第6巻)
角川書店、1990年12月
江戸の兵学思想
中央公論社、1991年2月(1991年度和辻哲郎文化賞/一般部門)
江戸の幾何空間
福村出版、1991年12月
江戸と悪~『八犬伝』と馬琴の世界~
角川書店、1992年2月
日本思想史入門(ちくまライブラリー)
筑摩書房、1993年5月
江戸思想史の地形
ぺりかん社、1993年9月
荻生徂徠~江戸のドン・キホーテ~(中公新書
中央公論社、1993年11月
忠臣蔵~赤穂事件・史実の肉声~(ちくま新書
筑摩書房、1994年11月(ちくま学芸文庫、2007年11月)
蜀山残雨―大田南畝と江戸文明―
新潮社、2003年12月
忠臣蔵まで 「喧嘩」から見た日本人
講談社、2013年12月
花の忠臣蔵
講談社、2015年12月
元禄六花撰
講談社、2018年1月

近代文学

三島由紀夫の世界
講談社、1968年12月
石川淳
筑摩書房、1969年2月
吠え声・叫び声・沈黙~大江健三郎の世界~
新潮社、1971年4月
谷崎潤一郎
中央公論社、1973年
小説の日本語(日本語の世界13)
中央公論社、1980年12月
作家の方法
筑摩書房、1981年4月
三島由紀夫北一輝
福村出版、1985年10月
近代小説の言語空間
福武書店、1985年12月
文化記号としての文体
ぺりかん社、1987年9月
近代日本の恋愛小説(朝日カルチャーブックス)
大阪書籍、1987年11月
江戸がからになる日~石川淳論第二~
筑摩書房、1988年6月
近代文学の結晶体
新典社、1991年11月
日本近代批評のアングル
青土社、1992年3月
三人称の発見まで
筑摩書房、1994年6月
小説(叢書:一語の辞典)
三省堂、1996年1月
近代日本の詩と史実
中央公論新社、2002年10月

小説

洪水の後
河出書房新社、1969年12月
収穫の年
河出書房新社、1973年
旗は紅に燃えて
新潮社、1977年1月

幕末・明治もの

江戸のヨブ~われらが同時代・幕末~
中央公論新社、1999年10月
幕末パノラマ館
新人物往来社、2000年4月
安政江戸地震~災害と政治権力~(ちくま新書
筑摩書房、1997年3月
幕末気分
講談社、2002年2月(第54回読売文学賞(評論・伝記賞)受賞)
幕府歩兵隊(中公新書
中央公論新社、2002年12月
幕末伝説
講談社、2003年5月
新選組の遠景
集英社、2004年8月
幕末の毒舌家
中央公論新社、2005年1月
大江戸曲者列伝―太平の巻(新潮新書
新潮社、2006年1月
大江戸曲者列伝―幕末の巻(新潮新書
新潮社、2006年2月
長州戦争―幕府瓦解への岐路(中公新書
中央公論新社、2006年3月
江戸は燃えているか
文芸春秋、2006年7月
幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)
新潮社、2007年3月
井伊直弼の首―幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)
新潮社、2008年2月
幕末不戦派軍記
講談社、2008年3月
天誅新選組―幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)
新潮社、2009年1月
鳥羽伏見の戦い―幕府の命運を決した四日間 (中公新書)
中央公論新社、2010年1月
巨人伝説
講談社、2010年2月
慶喜の捨て身―幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)
新潮社、2011年2月
明治めちゃくちゃ物語―勝海舟の腹芸(新潮新書
新潮社、2012年2月
慶喜のカリスマ
講談社、2013年4月
幕末明治 不平士族ものがたり
草思社、2013年6月
異形の維新史
草思社、2013年12月
明治めちゃくちゃ物語 維新の後始末(新潮新書
新潮社、2013年12月
ほんとはものすごい幕末幕府 消し去られた江戸幕末史と明治維新 (じっぴコンパクト新書)
実業之日本社、2017年11月(監修)

その他

花の詩学
朝日新聞社、1978年3月
江戸の風格
日本経済新聞社、2009年4月
「今昔物語」いまむかし
文藝春秋社、2014年2月

[]野口武彦氏略歴

助かります助かります2007/04/05 21:56まとまった紹介、助かります。ありがとうございました。

chemistchemist2010/03/08 00:50応援しています